神代の武家屋敷・鍋島邸

鍋島邸の長屋門

島原半島にある国見町神代に武家屋敷が残っている。天正12年(1584)、竜造寺隆信と有馬晴信が島原半島の覇権を争った沖田畷の戦い、天正15年(1587)豊臣秀吉の九州国割り経て、神代の地は佐賀領に組み込まれることとなった。

慶長13年(1608)年、神代西村、東村を含む4村が鍋島豊前の守信房(神代鍋島初代)の所領となり、明治の版籍奉還まで続く神代領が成立した。

神代鍋島家4代嵩就は、それまで散在していた家臣を集住させるため、城の西側を流れる川の流路を変えて外堀とし、内側の深田を埋築し、現在の武家屋敷群が残る小路地区を造成した。

現在小路地区は、江戸期の区割りがほそぼそのまま残り、武家屋敷建築と旧領主館である鍋島邸に代表される明治期以降の近代建築、石垣、生垣、自然林、ものつる川の水辺空間等が相まって美しい景観を現在に伝えている。

鍋島邸

元禄期の建築と伝えられる長屋門をくぐった右手に鍋島邸主屋が建つ。御北と呼ばれる元禄期の建物に、明治、昭和期の近代和風建築の書院座敷が相まって、旧領主の邸宅にふさわしい威厳をはなっている。

庭園

庭園面積3000平米。藩政時代は池泉式の庭園であったと伝えられるが、大正7年、庭園鑑賞を目的とした回遊式の枯山山水庭園として作成された。

緋寒桜

三本の古木からなり、最古のものは大正3年植樹と伝えられている。開花時期は1月から2月いっぱいが身頃である。(国見町神代小路歴史文化公園・鍋島邸のパンフレットより)

玄関の前には緋寒桜

庭への木戸

手入れの行き届いた植木

庭に入ると見上げるような大木に囲まれた庭が広がる

遠景に普賢岳が望まれる

広い屋敷